住所:岡山県岡山市北区新庄下
5世紀前半
全長約350m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mで三段築成。墳丘上まで上がることができる全国最大の前方後円墳として知られる。
前方後円墳
円筒埴輪
全国でも第4位の大きさを誇ることから、大王(おおきみ)と同じくらい力をもった豪族が、岡山にもいたことがわかる。
また、石棺には阿蘇溶結凝灰岩を使用している。形態も熊本県の鴨籠古墳の家形石棺によく似ている。これらは、吉備と九州の関係の強さを示す重要な証拠であるといえる。
通説では大和(中央)政権にきっ抗した吉備(地方)政権の大首長とされている。しかし、最大規模観の達成、少なくとも築造時に限れば全国最大規模と判断されることと、倭国の大王陵に想定されている同時期の巨大な前方後円墳との墳丘形態の類似性から、倭国の政治体制の頂点である大王の可能性がある。